【パニック障害未診断】体調に不安を抱えたまま親元を離れての学生生活。
以前、高校生活終盤に少しだけ回復の傾向が見えてきたことを書きました。
そのあと、親元から離れ遠くの大学へ行くことになった。
急性期は乗り越えたけれど、症状はまだまだ残っていた。強くてどうしようもないくらいの発作が起きなくなっただけ。
弱い不安感は常にあったし、疲れなどの要因で何とも言えない気分の悪さにおそわれた。もちろんスーパーなどのレジに並ぶのもまだつらかったし、ここは行きたくないなあと思う場所も結構あった。
一人暮らしには不安があったので学生寮に入ることにした。
とってもボロイ寮で、お風呂もトイレも共同だったし、部屋の仕切りは薄いベニヤ板だから物音はほとんど丸聞こえでうるさかった。
入居者も多くて、300人くらいいたと思う。
だからとっても騒がしかったんだけど、そのお蔭でさみしいということもなかった。
病院は、最初に診てもらった地元の心療内科の先生が紹介状を書いてくれた。
ちょうど進学した大学の附属病院に心療内科があったのでそこを紹介してくれた。
でも、そこは数回通っただけで見放されることになる。
偉い教授さんなのかもしれないけど、なんだか威圧的で診察を受けてもあまり上手に話せなかった。(白い巨塔を連想させる)
私くらいの症状の人は大学病院では軽い部類なのか、『最近少し調子がいいです。』と言ったらもう来なくていいとあっさり言われた。
ここでも結局『パニック障害』という診断名はつかなかった。
だから、自分の体質なんだと思うようになっていった。 発作が出ても少し我慢すれば楽になるし、無理さえしなければいいと思っていた。
発作が起きたときはホットミルクとか温かいものを飲んで、部屋の中をウロウロいったりきたりしてると何となく落ち着いた。
私には行動制限があった。
・初めて発作が起きた時間帯に外出したくない。
・映画館みたいな暗い所に行きたくない。
・旅行など遠出はしたくない。
・睡眠時間を削れない。
・極度に疲れるようなスポーツはしたくない。
その他にも、もっともっと制限はあったけど、細かすぎるから割愛させてもらう。
だから、私の行動を不可解だと思っていた人もいたと思う。
よく誘いを断るから付き合いの悪い人とも思われていたかもね。
でも、授業や課題などハードな学部だったから勉強が忙しいという理由で断ることができた。
ちなみに勉強は頑張らなかった。無理をするとまた酷いことになると思ったから。 定期テストは、人よりだいぶ前から準備して睡眠時間を削るということがないようにした。
レポートなどの課題も溜めずに調子が良い時にこなしておく。
単位は必要な分だけ取れば良し!規則正しい生活を送り、ノンストレスを心掛けることでとんでもなく酷い発作を起こすことはなく無事に4年が過ぎ、卒業することができた。
就職も運よく決まった。 働くことに不安もあったけど。就職できないほうが不安だったから働くことにした。
父も母もこのころはもう私の体質について理解してくれていたので、つらくなったいつでも家に帰っておいでと言ってくれてた。逃げ場があると余裕がもてるよね。
ついにパニック障害と断定される!の巻は次回。
パニック障害でも幸せになれるよ
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